バブルの置土産、リゾートマンションの終活を考える!
バブル景気は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされています。
朝日新聞の記事によれば・・・・・
それに先駆けること11年前の1975年、上越新幹線の越後湯沢駅からクルマで約30分の苗場高原に「マンション苗場」が建てられました。40〜50uの部屋が30、誰もが憧れるレストランを併設した…リゾートマンションのパイオニア的な存在でした。
その後、全国有数のスキーリゾートである湯沢では、バブル期が訪れると、マンションの新築ラッシュでリゾマンが激増。バブル崩壊の反動で「マンション苗場」は、そのあおりを受け「負動産」「腐動産」への一途をたどる羽目になります。
廃墟化を危惧する声の中、「マンション苗場」の利用者は激減しました。管理費や修繕積立金の滞納も、終わりのない状況を迎え、修繕も思うに任せぬ状況となっていきました。
マンション解体には
- 建替える⇒5分の4以上の同意
- 更地にして土地を売却する⇒所有者全員の同意(ただし耐震性が足りないマンションや広範囲で被災したマンションは、5分の4以上の合意があれば解体・売却できる)
という2つのパターンがあります。
泊まることがなくなったマンション解体は、まるでケモノ道。
廃屋…、つまり腐動産や負動産になるのを回避しようと、2014年に所有者のひとりである「I」さんらが、行動を起こします。離れ離れになっていたオーナーを登記簿で調査し、アンケートを郵送して心づもりを確認しました。
その結果、2015年には臨時総会というカタチで、管理組合をリスタートさせたのです。しかし、アンケートに回答した21人のうち、マンションを活用し続けたいと回答した人はゼロ。解体するという路線は決定され、マンションは閉鎖という結末を迎えました。
ここで、さらなる試練がおとずれます。マンションを解体して更地として売却するには、前述したように所有者全員の同意という高いハードルが、目の前に。
所有者の中には、宛先不明で通知が戻って来る人もいる。所有者を探して解体の賛成を取り付けなければ、売却さえもできない。
一念発起して、重大なお役目を担ったのは、当該物件の面倒をみている管理会社「O」さんでした。アンケートした宛先不明の4通、個人3名と法人1社の住所近隣を聞き込みすることからスタート。ようやく、所有者を探し出したというのです。
オーナーのひとりは、最後まで解体に反対していたそうです。でも、「このまま幽霊屋敷になって、トラブルが起きたら、あなたの責任問題になりますよ」と説得。
ようやく、解体への折り合いが実現しました。
それを受けて、管理組合は、2017年の総会で全員合意の解体を決議。備蓄しておいた修繕積立金3500万円を使って解体し、ようやく…2018年6月に更地になったのです。
最後まで解体に反対した人は、土地売却にも同意しなかったそうですが、管理費滞納を根拠に、そのオーナーの土地の持ち分を競売にかけました。その結果、2019年2月、競売で落札され敷地も売却先を見つけることができました。
捨てる神あれば拾う神あり、近くのペンション経営者が500万円で落札してくれ、所有者の追加負担なしで処分できたのです。
「O」さんは・・・・・
「マンションは大規模修繕の積立金等はあるが、解体への備えがゼロである。保守という観点から、きちんとしたシステムづくりを急がないと、日本中のマンションが負動産・腐動産になる」。と警鐘を鳴らしています。
このメッセージだけはゴミ箱に捨てないでください。
今回の実例で更地⇒売却が現実化したバックグラウンドには、修繕積立金が使われていなかったことが、解体できた要因となっています。
ですが、5年の歳月と善意で関わった人たちのとてつもない忍耐と努力が、マンションの終活を実現しています。
湯沢町には、バブル期に集中して58棟というリゾートマンションがされましたが、解体後更地になり売却できたのは、今回が初めて。
ただ…老朽化問題は、何もマンションに限定されたものではありませんよね。
親御さんが亡くなって空き家となった実家も、規模の大きさが違うだけの懸念材料です。
そこには、管理組合ならぬ遺族が、相続という決議に解決の糸口が見えない。
少子化が問題になっている昨今、マンション建設も住宅建設も、解体工事を視野に入れて新築や建て替えに備えて、義務化・制度化する時代が、すでに始まっているという認識を持つことを最優先するべきではないしょうか。